大利根砂利線とは

大利根砂利線とは、「東武鉄道百年史資料編」P203に記載されている、東武鉄道の伊勢崎線、羽生駅から利根川の間にかつてあったとされる貨物線です。

↓こんな感じで書かれています。

Wikipediaの「東武鉄道」にも

『貨物線 大利根砂利線:羽生駅 – 利根川右岸駅 … 1962年9月廃止。非電化?』

などと書かれているのですが、これはやはり「東武鉄道百年史」が元になっているのでしょう。その他の資料では大利根砂利線の路線名を見つけることは今のところできないようです。
開通日も「利根川右岸駅」の開業日も”不詳”というところが最大の謎ですが、とにかく謎が多い路線です。
昭和30年代に施工された利根川の引提工事に伴い、2代目橋梁(現在の下り線)が建設されそれと共に大利根砂利線も”初代”の西側に新たに敷設され直されています。”初代”は現在の下り線の下に埋もれてしまいました。

青い線の部分及び点線(地理院地図に当会追加)の部分が大利根砂利線のあった場所となり、調査の対象です。点線の部分は現在河川敷内ですが、引提前の路線の位置となります。

この羽生市道路網図の真ん中あたりにある「市道2104号線」が大利根砂利線の跡地になります。つまり公道になっています。

現在調査中の項目の”謎”については下記のとおりです。
① 大利根砂利線の開通日、駅の開業日はいったいつのなのか
② なぜ「大利根砂利」線なのか
③ 起点・終点はどこなのか

これまでの調査で、この大利根砂利線は東武鉄道の営業路線ではなく、いわゆる「専用線」「専用側線」としての「砂利採取の貨物線」であり、その経緯の中に、明治36年に開業された当時の終端駅「旧川俣駅」との関連が深く、すなわち当初の営業線を専用側線に転用した可能性が高く、それこそが数多い謎を解くカギなのではないか、ということが分かってきています。

上記”謎”の①に関しては、少なくとも初代の利根川橋梁が完成して川俣駅が群馬県側に移転した明治40年から、「東武鉄道六十五年史」(1964年 東武鉄道年史編纂事務局)の「第3節 専用側線」の項P334において「当社沿線に存在する専用側線は、おおむね大正9年以降昭和10年頃の間に出荷誘致の意味において敷設せられたものが大部分である」との記述があり、遅くともこの間までに成立しているのは間違いないと思われます。
この砂利線に関係する砂利業者については、様々な文献資料(特に専用線一覧表)から「東武興業株式会社」(現存する東武鉄道グループの同名会社とは全く別の会社)が中心となっていたことは間違いないと思われますので、砂利業者については今後別に詳しく調査結果を論じていきたいと考えていますが、大利根砂利線の成立時期については、鉄道博物館等で鉄道公報などを中心に調査を継続していく予定です。
ちなみに「東武鉄道百年史」では「昭和37年9月廃止」と記述されていますが、羽生市立図書館にある「ステーションはにゅう」(1999年 羽生駅友の会)という資料には「昭和39年7月1日 利根川からの砂取り業務廃止」と書かれており、百年史と約2年のズレがあって、これも調査したい謎のひとつです。

トワイライトゾーンマニュアル(専用線一覧表掲載)

今回の調査で参考にさせてもらっている、貴重な「専用線一覧表」が掲載されている「トワイライトゾ~ンMANUAL」(ネコ・パブリッシング)※X(旧twitter)上でここに掲載されていることを教えていただいた方に感謝します。

”謎”の②については、実は「鉄道ファン2004年6月号」に「東武鉄道 貨物列車ものがたり(2)」(花上嘉成氏)という大変重要な記事があり、P154に東武伊勢崎線の「木崎駅構内配線略図(昭和19年)」という図が掲載されていて、そこに「大利根砂利線」の文字が確認できます。そして昭和26年と32年の専用線一覧表にはその契約相手方・専用者として「大利根砂利会社」の記載が確認できるのです。羽生における大利根砂利線との関係はあるのでしょうか。また、この「大利根砂利会社」についてはこれまた謎が多く(笑)、今後別建てで詳細をまとめていきたいと思っております。

”謎”の③については、昭和26年版の専用線一覧表では”初代”大利根砂利線の作業キロが「1.6㎞」となっているのですが、利根川の引提後の昭和32年版専用線一覧表では”2代目”大利根砂利線の作業キロが「1.7㎞」となっていて、約100m引提によって後退したはずなのに、逆に距離が100m伸びてしまっています。
これは恐らく起点側の位置が変化したものと思われますが、要因としては当初の起点は旧川俣駅への”仮の本線”と初代利根川橋梁建設時の本線との分岐部が起点だったはずで、それが引提工事に伴う新橋梁建設時における線路の位置の変化や、ちょっと遡って昭和2年の複線電化時に羽生駅から北側の単線部分(利根川橋梁部分は平成4年まで単線だった)で一部だけ複線にした部分があったようで、運用の形態について時系列を整理する必要があると思っております。


今回はここで重要な終点部分の画像が現在羽生市のHPで確認できますので、リンクを貼っておきます。

市制施行65周年記念「懐かしい羽生市」の写真を公開

上記リンクの中にある「利根川4」が大利根砂利線の終点部分を写した貴重な写真です。
他にも「利根川2(鉄橋の西)」「利根川3」は砂利採取のトロッコの線路が写った写真、
「鉄橋2(現旧122号)」には地上に砂利線の線路があることがわかります。

上記写真を含め、羽生市立図書館で閲覧した様々な写真集にも大利根砂利線の線路が写し出されたものがいくつかありましたので、そちらも参考にしながらまとめていきたいと思っております。

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