放置された岩瀬村の道路元標

「道路元標」とは、Wikipediaによると、大正8年に制定された旧道路法に基づいて、各市町村に道路の起終点の位置を表すものとして設置されていたものです。
昭和27年の新たな道路法によって、その存在意義がなくなってしまい、消えてしまったものも多いようです。
そのような状況ですが、やはりその存在を調査している方もいらっしゃるようで、例えばフカダソフトさんの『道路元標(北埼玉郡)』の中には「県道364号上新郷埼玉線の歩道脇。岩松寺と農協跡地の間の空き地に放置されている。」との紹介があり、また、穴蔵~あなぞう~さんの「岩瀬村道路元標」の写真には、明らかにフカダソフトさんの記述と同じ位置に存在していることがわかる情報がありました。
ところが、「越谷市増森(ましもり)やまたけちゃんのブログ」の「岩瀬村道路元標(埼玉県羽生市)」には「【なかった日:2023年(令和5年)2月7日(火)】 どこ行った」との記述があるように、確かに私もフカダソフトさん等の記述を元に探した時には見つけることができていませんでした。

「岩瀬村」とは現在の埼玉県羽生市の一地域で、1954年(昭和29年)9月1日に、北埼玉郡羽生町、井泉村、川俣村、新郷村、須影村、手子林村と合併して羽生市となっています。羽生市は今年(2024年)市制70周年ですね。

そんな中、私が岩瀬をジョギングしていた昨年2023年9月、偶然にも「岩瀬公民館」の敷地内に、無造作に横たわる”石”を発見!

岩瀬公民館の建物の脇
(岩瀬公民館に許可を得て入らせてもらいました)

おいたわしゅうございます・・・

GoogleEarthで見てみると、2014年3月と2018年5月で移動が確認できます。

地理院地図にその移動位置を落としてみました。

いずれの位置も旧岩瀬村の重要な場所だったんですね。

さて、今後のこの歴史的な元標はどうなっていくのでしょうか。
いつの間にか無くなってしまうことがないように、見守っていきたいです。

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