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羽生北小学校前歩道橋は、埼玉県羽生市中央四丁目の北の方にあります。
昭和42年10月頃完成しています。
羽生で初めての横断歩道橋だったようです。
羽生市立羽生北小学校は、この歩道橋が設置された当時は「羽生小学校」でした。
ですから当初は「羽生小学校前歩道橋」だったと思われます。
昭和52年に現在の校名に代わっています。
この歩道橋が設置された当時、跨っていたのは「国道122号」でした。
ですから、今回取り上げた標識も非常に国道らしい雰囲気を残していて私の興味を誘ったのです。
国道122号は栃木県日光市を起点として、東京の豊島区西巣鴨交差点が終点の路線ですね。
結構多くの方が勘違いしてしまうのですが、起点が東京側ではありません。
日本の高度経済成長期の当時は、多くの小学生が通っていたいたことでしょう。
その小学校の近くにあった国道122号は、狭いところに多くのダンプトラック、バスが走っていたことが、当時の市内を写した写真集などで見ることができます。
この歩道橋に設置されていた案内標識ですが、もっと古いものもあったと思ったのですが、私が撮影したものを探して出てきたのはそんなに古くなく2018年(平成30年)のものでした。

↑2018年に撮影した時はこんな感じで塗装もあまり剥げていませんでした。

↑それが2023年(令和5年)6月にはだいぶ傷んでいるのが分かりますね。

塗装の記録表を見ると、2022年に歩道橋本体の再塗装がされていましたが、標識は対象外だったようですね。

2023年11月、半年ほどでかなり痛みが進行したようですね。
この頃、羽生市観光協会さんの「タイムスリップまち歩き」で付近を通った時に、講師の高鳥さんに「いつ撤去されるかヒヤヒヤしてるんですよ」なんて話をしたのを覚えています。
そして翌年2024年(令和6年)2月の末、私が通勤でこの歩道橋が見える場所を歩いている時に、「あれ?」と気づいたのです。


ああ!無くなってる・・・
そして2024年3月2日に現地に確認に行ってきました。




後で埼玉県行田県土整備事務所に問い合わせたところ、「重複区間解消推進工事(下岩瀬工区)」という工事名で、市内の三建工業さんが施工されたようで、撤去した標識は「処分済です」とのことでした・・・。
さて、この歩道橋が設置されている付近は「タイムスリップまち歩き」の時に知ったのですが、「戸張」といって、かつて羽生城下への北口、つまり館林側からの入り口の城門?があった場所ということで、非常に重要な場所だったようです。
通過する道路も「羽生市史」によると明治初期から「加須川俣道」(加須方面から羽生の町場を抜けて利根川の”長宮河岸”に通じる道)、「羽生上川俣道路」などと呼ばれるやはり重要な道路で、明治21年には埼玉県における「三等道路」であり、明治後期には「羽生館林道」としてやはり県などから整備の予算がおりるような路線であったのは間違いないようです。
そして1963年(昭和38年)に「二級国道 122号日光東京線」として指定されたのですが、その後すぐの1965年(昭和40年)に法改正により「一般国道122号」となっています。
つまり歩道橋ができた時は一般国道122号の歩道橋だったんですね。
前述のように大型車を含め交通量が多く、これを解消するために1974年(昭和49年)に「羽生バイパス」が開通し、恐らくその時に県道に格下げされ、「埼玉県道60号羽生外野栗橋線」となっていて、標識が撤去された時点では県道に跨る歩道橋だったわけです。
この標識を撤去した直後、県道のバイパスが完成し、ここは「羽生市道」に降格しました。
(羽生市役所HPより市道路線の認定について)

市道の「0142号線」になりました。
起点が南で終点が北になりますから、実は国道122号時代と逆になるのです。
さて、本稿では「↑館林」と記載された、南側の標識ばかり取り上げてしまいましたが、北側の標識も実に興味深いものでした。


矢印部分だけ初期のもので、「加須」と書いてかぶせたものにさらに「鴻巣」が載っている(笑)
この下に何が書かれたていたかは別途調査したいと思いますが、注目したいのは色の違いです。
国土交通省の『道路標識の歴史』を見て分かる通り、標識令という基準も何度となく改正されてきたようなのですが、色については国土交通省のHPにおける「質問:道路標識の色番号を教えてください」によると『「緑色」、「青色」、「黄色」とされているのみで、色番号で規定されてはおりません』が、『一方、(財)日本規格協会によって、保安用反射シート及びテープの色の規格が決められており、道路標識の色彩は、こちらを利用しております(JIS Z 9117)』と書かれています。
この「JIS9117」ですが、ちょっと調べると1975年に制定されているので、やはり規格は違っているのでしょうね。で、あの”レトロな”(私の個人的な感覚ですが)青と、かぶせた方の青にはこんな違いが見られたのでしょう。
標識マニアの方は結構いるようで、検索すると色々なHPがありましたが、この歩道橋に付けてあった標識についてはあまり話題にならなかったのでしょうか・・・。私には非常に興味深く撤去されてしまったのは残念ですがまだまだ知りたいこともありますし(実は一番最初の写真の真ん中に写っている細い道は恐らく「羽生館林道」と言われていた当時の旧道だったりします)、今後も私なりに調査を続けたいと思っております。