大利根砂利線の謎の一つがその「作業キロ」です
「トワイライトゾーンMANUAL」に掲載された「専用線一覧表」に書かれた、間違いなく大利根砂利線と考えられる羽生駅所管の専用側線の概要は抜粋すると下記のようになります。
| 所管駅 | 契約相手方 | 作業キロ | 種別 | |
| 昭和26年 | 羽生 | 東武興業(株) | 1.6 | 側線 |
| 昭和32年 | 羽生 | 東武興業(株) | 1.7 | 側線 |
この時期に利根川の引提工事が行われており、100m程橋梁の位置が羽生駅側に移動している、つまり延長が短くなっているはずなのになぜ、大利根砂利線の作業キロが長くなったのか。

1960年の空中写真は引提工事の最中の様子が分かる非常にありがたい資料です。国土地理院から購入し検討したものが下記の図です。

専用線(専用側線)の起終点は「専用線事務提要」(1954年貨物事務研究会編・交通日本社)に掲載された大正10年10月11日の「専用線作業契約準則」第7条に『当該側線の分岐点より専用線最長終端に至る里程」とあります。
最長終端は空中写真から推定すると、上記に示した地点となります。
これを前提にGoogle Earthで距離を当ててみます。
まずは引提前


1.6㎞ピッタリと言うことは無いとは思いますが、だいたいこの辺りになりそうです。
引提後も見てしまいましょう


なんだか見事に現在の駅構内で、しかも下り線のポイントがある地点と一致していますね。
さて、引提前の地点ですが、ここのあたりは実は昭和2年の複線・電化が同時に行われた時期に重要なカギがあると当会は見ております。
その根拠が電化時の架線柱の配置です。

ちょっと分かりにくいとは思いますが、これは”1.6㎞”確認時のGoogle Earthに示された位置付近の過去の空中写真です。
1958年の時点では、電化時とあまり変わっていないものと推測できるのですが、これは「たわたわのページ」さんの「東武鉄道の各世代架線柱」というページが非常に参考になりました。つまり空中写真を拡大すると東武鉄道の初期の鋼製架線柱だと良くわかるのです。
しかも”No11”という上記写真の下の方に見えている羽生川(城沼落排水路)にかかる橋梁(カルバート)の終点側にある架線柱は、平成4年に利根川橋梁がやっと複線化する前までは単線区間だった部分ですが、ここだけ先行して(?)複線となっていたようです。
ちなみに、架線柱には番号が振られていて、設置年が(基本的に)分かるようになっています。

ここにあるやつです。
駅と駅の間で、起点側から順番に付けられています。下り側は「A」で上り側が「B」です。


それでもなんとか「11A 57-11」と読めました。ちなみに「57-11」と同じ時期に設置されたもので「1982-11」と書かれたものも存在します。
この設置年と形式などを確認して、どのようなプロセスで複線化されたかを推定すると、当初の起点部分と思われる当たりの移り代わりは面白そうです。これはまた別記事にしたいと思います。
余談ではありますが、この羽生川(城沼落排水路)のカルバート、開通当初は現在の上り線部分がレンガで作られており、複線化時はコンクリートで拡幅されています。

これ撮影するときに苦労しました(笑)
で、何が言えるかというと、この電化されていた部分と非電化の部分との境目が大利根砂利線の当初の起点となっていたのであれば、非常に辻褄が合うと思われるのです。
「分岐点」と大利根砂利線は最後まで非電化だったはずです。ポイントのようなはっきりとした分岐施設がありませんが、当会としてはこの認識で研究を進めていきたいと思っております。
さて、引堤後の起点ですが、昨年(2024年)7月に羽生市郷土資料館で開催された「羽生市70年のあゆみ」という企画展に展示された貴重な駅の航空写真を元に、昭和30年代の羽生駅の配線略図を作成しました。そこに引提後1.7㎞の起点と思わる部分も図示してみました。
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少々雑な記事なってしまいましたが、更に現地調査などを進めて起点の確定につなげていきたいと思っております。