大利根砂利線と見られる、羽生駅所管の専用線の契約相手方(専用者)は専用線一覧表によると「東武興業株式会社」となっています。
また、昭和32年版及び昭和36年版では”第三者使用”が「東武砂利協同組合」となっていますが、これについてはまた別に取り上げたいと思います。
国会答弁でその存在を知る
この「東武興業」は、現存する東武鉄道グループの会社(昭和30年設立)とは全く別の会社です。但し東武鉄道と関係の深い会社であったことは間違いないでしょう。
私がこの会社を知ったのはインターネットの検索(国会会議録検索システム)でした。
『第34回国会 参議院 運輸委員会交通の秩序と安全に関する小委員会 第2号 昭和35年4月15日』の中で、当時の東武興業の社長だった木村正五郎さんが参考人として出席しています。


この参議院委員会での発言は昭和35年なので、利根川堤防引提後の砂利採取の様子がわかり非常に興味深いのですが、その辺りはまた別な記事にしたいと思います。
ここで注目したいのが工場の所在地が「埼玉県羽生市川俣」と発言されていて、ここから私は東武興業を調べていくことになりました。
東武興業株式会社の前身は「東武川砂株式会社」
東武興業の存在を知ったとほぼ同時期に、その前身の会社が「東武川砂」であることを、やはりWebサイトで知ることになりました。残念ながらそのページはその後移転された時に内容が若干変わってしまっています。
この記事を書いている2025年12月現在、「西武グループの系譜」というページで『【西武建設㈱】』の項目の中に「東武興業㈱設立<1935年4月>」と記載されていることが確認できます。
「社内報西武」という、ちょっと私には入手及び閲覧困難な資料に記載されていたとのことでしたが、「東武だったのに何故西武?」という疑問が出てきますよね?それがまた謎なんですが、今後の研究の課題でもあります。
さて、東武川砂株式会社ですが、昭和10年6月28日の官報に設立の記載があります
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東武川砂は昭和10年4月1日に設立されています。この日付は後に社名変更を重ねていく中で、ずっと変わりません。
ここに記載されている役員等のことは、また別記事で詳しく書こうと思いますが、取締役に「木村清五郎」さんが名を連ねています。この方は後で分かりましたが、砂利業界の重鎮です。前述の木村正五郎さんは今私が把握している範囲では、どうやら清五郎さんの養子だったようです。
最初の社長だった水谷さんは、東武鉄道の株主でもあったようですが、土木建築業で東武鉄道を顧客にしていたようです。他の役員も調べると東武鉄道関係者だったり非常に興味深いです。
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上の左の画像は初代水谷社長が昭和14年10月15日に亡くなったことが分かる官報ですが、右の
「全国銀行会社要録」では「15-17」と期間に幅があるからか、東武川砂と東武興業が同一紙面に掲載されているというちょっと奇妙な状況になっていますが、2代目社長が「山内好秀」氏になっていることが分かります。会社の住所が同じですね。これまたこの山内さんという方が地方事務官等の役人から砂利業界の役員となり、更には国会議員選挙に”砂利業界代表として”出馬したなんてこともありつつ、戦後は価格調整公団の理事になるなど重職を歴任した方で、非常に興味深い方です。

実は東武川砂から東武興業への社名変更の資料は現時点で確認できていないのですが、上記の東武興業の決算公告がいきなり「第10回」ということで、東武川砂から継承されていることがわかります。山内さんはこの時点で専務取締役ですね。(「山田」になっていますが、これは後の官報で山内に訂正されています)
東武川砂の水谷社長から東武興業で山内社長に、そして木村正五郎氏が社長になったのはいつか。「建設業年鑑 1954年版」(東京建設業協会編・昭和29年)には木村正五郎氏が「取締役社長」(昭和34年頃の資料では山内氏は監査役)との記述があるので、その頃だと思われます。
昭和31年(1956年)に発行された岡本邦勇 編『関東の砂利』という非常に重要な本があるのですが、その中に砂利業者の紹介があり、東武興業に関しては「8分砂利では利根川筋では筆頭」「砂専門採取場である羽生工場も(中略)貨車もの中目砂としては唯一のもの」等非常に評価が高かったようです。
西武グループ傘下へ
冒頭の参議院運輸委員会は昭和35年(1960年)ですが、その翌年の1961年5月には前述のように西武の傘下に入ったようです。前述の西武グループの系譜にも以前にはその事が書かれていたのですが、現在はそちらでは確認できません。


上記昭和39年7月4日の官報には、西武グループで健康保険組合の分割を許可する記述があるのですが、「分割後存続する組合」の中に「東武興業株式会社」があるので、間違いなく傘下に入っていたことになると思います。
何故、東武鉄道と関係が深く、社名に”東武”を冠する会社が西武の傘下に入ったのか・・・。まだ確実なことは言えませんが、河川の砂利採取に関して法律の改正があり砂利採取が行いにくくなってしまったと思われ、羽生においても砂利線の廃止があったのが象徴的ですが、経営に大きな影響があったことは否定できないのではないでしょうか。
そこに手を差し伸べ、逆に業界におけるシェア拡大に走ったのが西武系の会社だったのかも知れません。(ちょっと雑な考察で申し訳ないです)
関係する文献を見ても、当時西武鉄道の社長だった小島正治郎氏(堤康次郎氏の娘婿)が非常に幅広く事業に関わっていたことが分かります。
そしてこれは余談になるかも知れませんが、木村正五郎氏は早稲田大学商学部を昭和15年(1940年)に卒業しているようですが、小島正治郎氏も早稲田商学部を1925年に卒業していて、つまり小島氏は木村氏の大学の先輩に当たるようです。
帝国銀行の会社要録を見ると、西武の傘下に入った後1962年から大株主は西武建設になっていますが、社長だった木村正五郎氏は取締役として残っていました。
1970年(昭和45年)に「西機土木株式会社」と社名変更していています。砂・砂利採取業だけでなく、建設工事も行うようになりました。社名変更した後も木村正五郎氏は少なくとも1976年(昭和51年)頃までは取締役でいたことが「日本会社録」(帝国地方行政学会)等で確認できます。
衝撃的な末路
更に西機土木は「株式会社セイキ」と社名を変えたのですが、それがはっきりした年月日を確認できていません。少なくとも1989年(平成元年)頃までは西機土木で、平成になってから(株)セイキになったのではないでしょうか。
そして(株)セイキは2005年(平成17年)12月に解散、そしてこれは今となっては確認できないのですが、「2006年3月28日に清算された」と私がどこかで見つけてメモをしています。


同じく「解散公告」 第三回まで公告されていました。
そして、これが衝撃的なのですが、「株主プロ」というサイトで確認できた、『提出された株主情報 / 有価証券報告書・大量保有報告書の一覧』で、『西武建設 変更報告書 2004/10/29』というところにたどり着き、以下の報告書(抜粋)に出会ってしまいました。

この資料では、「旧名称 西機土木株式会社」とありますし、「設立年月日 昭和10年4月1日」と東武川砂の設立と同じ日であることが確認できます。
それにしても砂利業者として設立した会社が70年余りの歴史を終える時に「警備業」になっていたとは・・・。正直これを見た時にちょっとショックを受けました。
今回は東武興業株式会社の歴史的な流れを中心に記事を書きましたが、この会社に関わった人物ですとか、また”第三者使用”で登場する「東武砂利協同組合」に関わる人物も非常に興味深い方々ばかりです。
次回以降そちらの調査状況を記事にしたいと思います。