ややこしい東武の砂利業者

大利根砂利線を巡って砂利業者を調べようとすると、東武興業株式会社だけではなく、似たような名前でちょっと混乱してしまうことがありました。
この記事ではそのさわりをご紹介したいと思います。

東武に関係する砂利業者の一覧表(ほんの一部)

ざっとまとめると上記のような図になります。
組合関係は表記のぶれもあるとは思いますが、関係者の経歴等から拾うと何がなんだかよくわからなくなってしまいます。
なかなか思うように進みませんが、各社の人的なつながりなどを調べて相関関係をまとめてゆきたいと思っております。

2つの東武興業株式会社

さて、東武興業株式会社も図にしてみました。

こちらは『大利根砂利線の”専用者”砂利業者の「東武興業株式会社」』で大利根砂利線にまつわる東武興業のことは書きましたが、上記図の通り、東武グループの東武興業株式会社とは15年間は同時に存在していました。
画像は著作権上貼り付けることはできませんが、国立国会図書館デジタルコレクションの、
『帝国銀行・会社要録』第40版(帝国興信所,昭和34年. https://dl.ndl.go.jp/pid/8798240)
【※閲覧にはログインが必要】のP571(827コマ)において、2つの”東武興業”が並んだ状態を確認することができます。
この2社は全く別の業務を行っていたのですが、東武グループの方はもちろん現在もありますので、「あの東武興業が昔は砂利の業務をしていたのか」などと誤解される可能性もありますね。
余談ですが、東武グループの方の東武興業は、「スミダ興業」という会社名が前身になるようで、浅草の松屋に貸劇場を運営していたようです。

2つの東武砂利株式会社

もう1社(2社)、非常にややこしいのが「東武砂利株式会社」です。

東武興業と同じように同じ名前で砂利業者によって設立された会社と、東武グループの別の会社が存在していました。但しこちらは同時には存在してはいませんでした。
それでも沿革を見ると非常に複雑です。

まずこの図では秋山喜一氏と木村清五郎氏というお二人の砂利業界の重鎮が創業した明治時代のこともあえて入れておきました。大利根砂利線の研究にも大きく関わる方々だと思います。
昭和初期のお二人の資料を上げておきます。

※1 東京毎夕新聞社 編『昭和之日本 : 御大典記念』,東京毎夕新聞社,昭和4. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1188629
※2 帝国秘密探偵社 編『大衆人事録』昭和3年版,帝国秘密探偵社[ほか],昭和2. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1688498

秋山喜一氏も木村清五郎氏も、この時点で肩書がすごいですね。
秋山喜一商店の創業については一覧に「明治39年」と記載しましたが、別資料で「明治35年」と書かれたものもあります。もっとも秋山氏の生まれた年は明治16年とのことですが、12年と書かれた資料もありましたので、その辺はあまり神経質にならないようにします(笑)
それと上記の資料ではこの時点で秋山氏の方にも「東武砂利」の文字が見えますが、同じ会社なのか、現時点では不明です。

大正9年設立の東武砂利株式会社

※3 大蔵省印刷局 [編]『官報』1921年04月12日,日本マイクロ写真 ,大正10年. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2954721

まずは大正9年に設立された東武砂利株式会社ですが、官報を見ると「大利根砂利線の”専用者”砂利業者の「東武興業株式会社」」で取り上げた東武興業株式会社の役員が木村清五郎氏はもちろん、小澤義平氏も重複しています。
細かな分析は今後していきたいと思っておりますが、栃木県の方が設立に関わっていて、これは東武鉄道の歴史において後の佐野線につながる「安蘇馬車鉄道」との関連を思い起させます。次に上げる社名変更とも恐らく関係しているのは間違いありません。

※4 大蔵省印刷局 [編]『官報』1938年05月07日,日本マイクロ写真 ,昭和13年. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2959891

昭和12年に「東武産業株式会社」に社名変更しますが、注目していただきたいのは葛生町の吉澤氏が取締役に就任しているところです。
「吉沢石灰工業100年のあゆみ編纂委員会 編『100年のあゆみ』」(吉沢石灰工業,ダイヤモンド社 ,1973)国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/11954204)【※5 閲覧にはログインが必要】のP108(74コマ)には東武産業株式会社に出資したことが書かれています。吉澤氏は間違いなく吉澤石灰工業の方ですよね。
この吉澤石灰工業の「100年のあゆみ」ですが、東武鉄道百年史にもその本の中から安蘇馬車鉄道の様子が描かれた図も引用していて、このことからも両社の関係が深いことがわかります。

2026年現在、吉澤石灰工業株式会社のHPに掲載されたグループ会社には「東野産業株式会社」が砂利・砂を扱っていることが記されていて、他の資料では1992年頃までは東武産業も関連企業として東野産業と一緒に記載されていました。現段階で確認はできていませんが、東野産業に業務を統合されたのでしょうか。もう少し調査が必要ですね。

合同砂利株式会社から始まる東武グループの東武砂利株式会社

もう一つの東武砂利株式会社は「合同砂利株式会社」から東武グループの歴史に登場します。
合同砂利株式会社の設立時の役員を見ると、最初に上げた「秋山喜一商店」と他2社が「合同」したことによって付けられた会社名と思われます。

※6 東京工材(株)設立
大蔵省印刷局 [編]『官報』1924年12月18日,日本マイクロ写真 ,大正13年. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2955846
※7 利根川砂利(株)設立
大蔵省印刷局 [編]『官報』1925年07月28日,日本マイクロ写真 ,大正14年. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2956027
※8 合同砂利株式会社設立 大蔵省印刷局 [編]『官報』1930年10月14日,日本マイクロ写真 ,昭和5年. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2957606
秋山喜一商店の秋山喜一氏、東京工材(株)の大山保之氏、利根川砂利(株)の松本良七氏が確認できます。

実は東武砂利という会社を調べていて、なかなかこの会社の流れを理解することができていませんでした。
というのも、「東武開発株式会社 – 東武グループ」のHPに掲載されている(2026年2月現在確認)「東武開発90年のあゆみ」の年表には、「昭和31年 合同砂利・東武砂利合併契約締結」とあるんですけど、その時点で上記の東武砂利株式会社は当時既に東武産業株式会社に社名変更していたし、「東武開発90年の歩み」の年表には別の「東武砂利」という会社が掲載されてはいなかったからです。

「東武開発90年の歩み」https://www.tobukaihatsu.co.jp/pdf/90th.pdfより抜粋
官報 昭和31年(1956年) 4月10日(合同砂利と東武グループ東武砂利の合併)
※官報情報検索サービス(有料)より転載厳禁

上記年表の通り、合併後昭和31年12月に「東武砂利(株)に社名変更する」と・・・。

しかし官報等には見当たりませんでしたが、「『通商産業研究』3(9)」(通商産業省大臣官房,1955-09. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2259593)【※9 閲覧にはログインが必要】の83コマ(「砂利」のP17)に東武砂利株式会社として「同社は昭和二十五年創立の東武鉄道の子会社」と記載されていました。
業平橋に最新のホッパーピンという設備を持ち、「徳川河岸採取場の外、東武沿線の主なる採取場とは特約があり、如何なる品種の出荷も可能である」とも。

この会社は昭和39年(1964年)に「東武開発株式会社」に社名変更し現在に至っています。
つまり、大利根砂利線が廃止されるまでは「東武砂利株式会社」だったことになります。

大正9年設立の東武砂利株式会社からもう一つの東武砂利株式会社、昭和30年設立の「東武砂利協同組合」までが大利根砂利線研究の対象

冒頭の一覧表に戻ってみると、今後大利根砂利線に関わる会社とその経営者の関係は、概ね昭和30年代初期までの流れで整理する必要があることが分かります。
前回の記事「なぜ「大利根砂利線」なのか、を考えてみる」で登場した「大利根砂利会社」や「大島戸一氏」がこの中でどのような関係になっているか、も含めて調査・整理をしていきたいと考えております。

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