今回のコンテンツは以下の3点です。
1.伊第239~240号踏切道の位置を推定する
2.南羽生駅の変遷を確認する(須影駅→南羽生駅)
3.南羽生駅の歴史とWeb上の情報の問題点(東武鉄道公式、Wikipedia)
1.伊第239~240号踏切道の位置を推定する
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羽生市内における東武伊勢崎線の踏切は「伊第238号踏切道」から「伊第274号踏切道」まで37箇所あったものが、2026年6月現在、17箇所となっています。
南羽生駅周辺では、駅の前後に「伊第247号踏切道」と「伊第251号踏切道」がありますが、その間の3箇所(248、249、250)は周辺の区画整理により、痕跡も全くなくなってしまっています。 今回はその3箇所の位置を推定したいと思います
これは空中写真で割と簡単に確認できました。
昭和33年の画像では位置が明らかです。
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伊第250号踏切道はそれ以前昭和20年代もホーム南端を渡る踏切で、若干移動改良もありましたが、ホームの延伸によって廃止されたようです。

更なるホームの延伸で、伊第249号踏切道も廃止されています。
現在の空撮画像に落とすとこのようになります。
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区画整理はそれ以前の動線を完全に変えてしまいますね。
2.南羽生駅の変遷を確認する
南羽生駅に関しては東武鉄道百年史・資料編の202ページに
明治36.9.13(須影)
41.8.15(廃止)
昭和 2. 4. 1(再開業)
43. 9. 1(現駅名に改称)
と書かれています。
明治36年に開業して明治41年に一旦廃止されていますが、この時の位置は現在の駅の位置より終点側(羽生駅側)にありました。
その位置は国土地理院の「地図・空中写真閲覧サービス」にて閲覧できる地形図で確認できます。※アカウントを取得してログインすると、高い解像度で閲覧できます。是非ログインしてご確認ください(撮影・キャプチャ等は禁止となっています)
当初の位置は
「5万地形図 75-8-1幸手 1907(明治40)測図 1909/8/30(明治42)」
にて確認できます。
また、再開業後の移動した位置は
「5万地形図 75-8-16幸手 1929(昭和4)修正 1932/10/30(昭和7)」
で確認できます。
国土地理院のホームページでは閲覧しかできませんので、地図に落とすとこんな感じです。
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さて、踏切の廃止にはホームの延伸が大きく関わっていました。
現地で確認すると、その変遷の痕跡ははっきりと残っていました。空中写真も併せてその変遷をたどってみたいと思います。
昭和2年に再開業してからの流れは下記のようになると思います。
- 対向式ホーム(相対式ホーム)で上下線同じ長さ、構内踏切あり【1958年の空中写真】
- 起点側(加須駅側)に上下線とも約20m延伸(石積み)、伊第250号踏切道廃止【1960年の空中写真】
- 上り側ホーム起点側に更に延伸(石積み)※千鳥式ホームのような形状になる、ホーム長屋根設置、伊第249号踏切道廃止【1980年の空中写真】
- 上下ホームをつなぐ跨線橋設置、構内踏切撤去【1985年の空中写真】
- 上り側ホーム終点側(羽生駅側)に延伸(石積み)【1990の空中写真】
- 下り側ホーム起点側に延伸(鉄骨)【1995年の空中写真】
- 下り側ホーム起点側に更に延伸(鉄骨)【1998年の空中写真】






ざっとですが、利用者の増加や地下鉄への直通運転など使用車両や運行状況の変化により、1960年代6両編成、1970年代8両編成、1990年代10両編成の列車に対応するべくホームは延伸を重ねていったんですね。その変化がはっきりと見て取れるのが非常に面白いです。
3.南羽生駅の歴史とWeb上の情報の問題点(東武鉄道公式、Wikipedia)
南羽生駅について、東武鉄道の公式サイト南羽生駅|東武鉄道公式サイトには2026年6月現在こう書かれています。
『昭和2年の開業当初は、現在の場所よりも約100mほど下り位置にありました。
首都圏(通勤圏)から60kmの位置する当駅は「手子林」が「館林」に似ており間違え易いことから、昭和43年に羽生市は、市の活性化にあたり羽生市の南の位置に属することから南羽生駅としました。』

ご覧の通り、「開設年月日 明36.09.13」と記載しているにも関わらず、「昭和2年の開業当初は・・・」とこの時点で「開設」と「開業」で違う時期を示してしまっているのですが、この記述では「昭和2年時点では約100mほど下り位置にあった」ということになってしまい、前項で書いた事実(昭和2年には既に100m移動して再開業していた)との違いが生じてしまっています。そして唐突に「手子林」が登場しています。なぜここで手子林?(笑)この点は後述します。
ちょっと意地悪かも知れませんが、この記事を作成している時点の記録としてお読みいただきたいと思います。(東武鉄道の公式はいつか修正されることでしょう)
もう一つ、Wikipedia も見てみましょう。南羽生駅 – Wikipediaです。
『「1968年(昭和43年)9月1日 – 南羽生駅に改称。この際加須駅方面へ100 m移動した[6]」
6.間仁田勝『羽生市の地名〜地名からみる羽生の歴史〜』羽生須影今むかし探究会、2019年2月、55頁。全国書誌番号:23238496』

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れでは「昭和43年に100m移動した」ということになり、これまた事実と違うことを書いています。そしてこの根拠が間仁田勝先生の「羽生市の地名」であると。
間仁田先生の名誉にかけて書きますが、出典としている「羽生市の地名」にはそんことは全く書かれていません。

実際にこの本には「一時廃されていた須影駅も、昭和2年(1927)4月1日、再び開駅されることとなった。当初の駅より100メートル移動しての開駅であった」 つまり、100mの移動は昭和2年とちゃんと書かれているのです。どうしてこうなったのでしょうか
更にこの本では須影駅が南羽生駅と改称された理由について、「再開駅した時の駅の所在地が大字須影(旧須影村)地内でなく、大字神戸(旧手子林村)地内になっていたことも要因の一つか」と非常に重要なことが書かれています。
これが前述の東武鉄道公式において「手子林」が登場したことにつながっているのです。
実はこの須影駅・南羽生駅がある場所は、昭和29年までは旧「須影村」と旧「手子林村」
のちょうど村境に位置していました。昭和29年からは旧羽生町と合併して「羽生市」となったのですが、当初の位置が須影村で再開業した場所は手子林村だったのです。
つまり、昭和2年から南羽生駅に改称される前までは、手子林村のエリアに存在していながら「須影」だったということになります。
「駅からマンホール」(https://ekikaramanhole.whitebeach.org/)というサイトに「旧境界MAP」という大変ありがたいページがありましたので活用させていただきました。https://ekikaramanhole.whitebeach.org/ext/oldTokyo/index_all.html

こんなに微妙な場所だったんですね(笑)


さて、上記2つのWeb上の記述ですが、生意気にも修正を提案するとすれば・・・
東武鉄道公式の方は「昭和2年の再開業する前までは・・・」という表現にすれば簡単に落ち着くでしょうし、
Wikipediaの方は「この際加須駅方面へ100 m移動した」の記述を昭和2年の所に移動するだけで終わりです。
当会もゆるいものとは言えWeb上に発信している以上、なお一層の注意をせねば、と身を引き締めております(それほどでもないか・・・)
間違いを見つけていただいた際は、是非ご連絡をいただけるとありがたいです。よろしくお願いいたします。