大利根砂利線 廃止年月の謎

当HPの記事「大利根砂利線とは」で触れたように、大利根砂利線の廃止年月は「東武鉄道百年史」では「昭和37年9月廃止」と記述されていますが、羽生市立図書館にある「ステーションはにゅう」(1999年 羽生駅友の会)という資料には「昭和39年7月1日 利根川からの砂取り業務廃止」と書かれていて、そこに約2年のズレがあります。

話が前後してしまいますが、YouTubeに「ver.1」としてアップしていた、「大利根砂利線(東武伊勢崎線 羽生駅~利根川橋梁間)ステップ図」に上記の内容を追加するなど、若干の修正・追加をした「ver.2」をアップしておりますので、よろしかったらご覧ください。

↑追加・修正したスライドです

私は今年度(2026年度)から「東武博物館友の会」に入会し、早速年度初めに東武博物館を訪れたところ、何ともありがたいことにこの日就任されたH館長と、学芸ご担当のYさんにご挨拶することができました。
そこで早速上記の「2年のズレ」について私が調べていることをお伝えすることができました。Yさんからは調査にご協力いただけるという大変心強いお言葉をいただきました。

そしてその結果の一つとして、昭和38年時点の「線路図」という資料(※公開されていません)に、羽生駅から分岐した線路に「砂取線」の記載があったことをお知らせいただきました。

つまり、このことから判断できるのは、東武鉄道百年史に記載された廃止時期:昭和37年9月と、ステーションはにゅうに記載された昭和39年7月1日の間にも、大利根砂利線と考えられる“砂利線”が存在していた、ということです。
次のような疑問を持たれる方がいるかも知れません。「大利根砂利線=砂取線とは限らないのではないか」と。また、「路線の廃止=砂利取り業務廃止」と言えるのかどうか、と。
実は同じ「ステーションはにゅう」の次のページには「羽生駅の定員交渉経過」という一覧表があり、そこに「昭39年7月1日 砂取り線廃止に伴う貨物取扱業務変更 貨物掛日勤1名削減(以下略)」(送り仮名は原文のまま)と、はっきり「砂取り線廃止」と書かれているのです。

少し話が逸れますが。ここで改めて「大利根砂利線」に当たる路線について、様々な資料におけるその表現を検討しておこうと思います。

砂利輸送のため利根川まで引込み線(「ステーションはにゅう」NO2 同上※昭和23~31年に羽生駅に勤務した方の記述)
利根川側線(「ステーションはにゅう」NO4 1997年/羽生駅友の会※昭和22~43年に羽生駅に勤務した方の記述)
砂運搬のために利根川堤防下まで敷かれた貨物専用線(「行田・加須・羽生の今昔」P67 2007年/郷土出版社)
砂取り線(「ステーションはにゅう」NO33「羽生駅の定員交渉経過」同上)
羽生から利根川に通じる砂利線(鉄道ピクトリアル臨時増刊号No799【特集】東武鉄道P111 2008年/電気車研究会)
・写真に写るレールは奥が本線、手前は利根川から採取された砂を運搬する専用のもの(「行田・加須・羽生の昭和」P110 2019年/いき出版)

上記のように様々な表現がありますが、いずれも同じ路線のことを記述していることは、まず間違いないと思います。

さて推測ですが、ごく普通にはこの2つの時期の差は、「昭和37年9月は廃止の方針が決定された時期で、実際に現場で廃止となったのは昭和39年7月」などと考えるのが妥当と言えるのではないでしょうか。

そしてもう一つ、ありえなくも無いけど「そんなことある?」という推測が生まれてしまいます。それは「昭和39年7月を昭和37年9月と書き間違えた可能性」です。
昭和379
昭和397
使っている数字が同じだけど・・・私個人的にはこの手の打ち間違いはしたことあります(笑)まあ冗談だと思ってください。

真面目に戻りまして、今後「東武鉄道百年史」に記載された際の根拠となる資料が、東武博物館さんにご協力を賜りつつ見つかり次第、情報を更新し記事にしたいと思っております。

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